11月10日、岡山の「後楽園」に行ってきました。
ここは、わが水戸の「偕楽園」、金沢の「兼六園」と並ぶ、日本三名園の一つです。以前に来た時には、自然を残しつつ人為的に見えない風情の「偕楽園」、ある意味で作りすぎた感じのする都会的な「兼六園」に比べて、中途半端な印象を持っていました。しかし、今回、園内の「延養亭」付近から見た景観を周りの現代のビルなどが見えないように、都市計画で守っていることや手入れの丁寧さが解り、改めてその価値を見直しました。江戸時代から飼育されていた鶴(丹頂)も「鶴舎」にいて、その美しい姿を園内によみがえらせていることなど、江戸時代のままの「後楽園」を残そうとしている熱意が伝わってきました。水戸の「偕楽園」は、作られて以降、梅林を削ったり、桜を園内の真ん中に植えたり、景観上ビルが見えるのを防げなかったりしています。「偕楽園」が明治以降その時その時の都合で変化させられてきたことに比べ、「後楽園」では作られた当時の姿がより残されていると感じられました。
鳥に関しては、面白いことが見つかりました。
「延養亭」の茅葺き屋根の針金の線は、茅がカラスに抜き取れるのを防ぐために設置されているとの事でした。カラスが、茅を巣材に銜えて行き、屋根が壊れるのを防ぐためとの事。カラスの鳥の仲間でナンバーワンの賢さ、逞しさ、知恵に、恐れ入りました。また、「沢の池」と呼ばれる園内で一番大きい池の中にある東屋の屋根の上にある鶏は、魔除けと聞きました。鶏は、伊勢神宮などで神の使い(神使)とされています。昔から人間にとって身近な動物でした。また、園内の「鶴舎」というところでタンチョウ(丹頂)という鶴を飼育していました。タンチョウは、現在、日本の釧路湿原付近に棲んでいますが、環境省の絶滅危惧種に指定されている希少な鶴の仲間です。江戸時代には、「偕楽園」の下の田にも飛来もしくは放たれていて、手厚く保護されていました。「後楽園」においても江戸時代から飼育されていると聞き、この鶴が昔から人に愛され大事にされてきた鳥ということを再認識しました。
今回の旅行で岡山の「後楽園」の素晴らしさ、そして地元で大事にされている事の一端に触れられた気がします。わが水戸市でも、本来の偕楽園の姿を取り戻せないかなどと考えてしまいました。江戸時代に「偕楽園」の下の田でタンチョウが子を産んだ記録がある場所に「田鶴鳴橋」という橋の名しか残っていないのでは、岡山市の現況に比べて寂しい限りです。
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